イオンの発見
「イオン」という言葉をはじめて用いたのは,イギリスのファラデーです。「イオン」とはギリシア語の「行く」という意味の言葉から考えられました。ファラデーは,電気分解のしくみを研究し,「水溶液に電流を流すと,水溶液中に陽極と陰極に移動していく物質が生じる」と考え,この物質を「イオン」とよびました。
ところが,スウェーデンのアレニウスは,この考えに疑問をもち,1884年,次のような考えを発表しました。
① 電解質を水に溶かすと,電流を流さなくてもイオンになる。
② 水溶液中の陽イオンと陰イオンは,たがいに独立した原子のようにふるまう。
当時,この考えは多くの科学者から反対されました。その理由は「塩化水素のような化合物を水に溶かしただけでは,水素や塩素は現れないではないか」というものでした。
しかし,その後,しだいにアレニウスの考えは科学者たちの支持を受け,1903年,アレニウスはノーベル化学賞を受賞しました。
原子の構造をとらえた長岡半太郎
1900年のはじめ,原子が1つの粒子ではなく,+の電気をもった粒子と−の電気をもった粒子の集まりであることがわかっていました。電子を発見したイギリスのトムソンは,1903年に,+と−の電気をもった粒子が均一に混ざって原子を構成しているという,レーズンパンのような原子モデルを発表しました。
それに対して,同じ年に,日本の長岡半太郎は,+の電気をもった原子核のまわりを,−の電気をもった電子が回っているという,原子モデルを発表しました。これは,現在の原子モデルに近いものでしたが,当初は理論的な説明がうまくできない点もあり,長岡の原子モデルはあまり注目されませんでした。
しかし,その後,イギリスのラザフォードが,実験によって+の電気をもった原子核の存在を明らかにし,長岡と同じような原子モデルを発表しました。さらに,デンマークのボーアが,現在の原子モデルを発表し,原子核のまわりに電子が存在する原子の構造を明らかにしました。こうして,発表当初は,注目されなかった長岡の原子モデルが見直されるようになりました。
酸・アルカリの言葉の由来
「酸」という言葉には,“酸っぱい味のもの”という意味があります。酸には,食酢にふくまれる酢酸,レモンやミカンにふくまれるクエン酸,炭酸飲料にふくまれる炭酸など多くの種類があります。
「アルカリ」という言葉には,アラビア語で“植物の灰”という意味があります。木や草などを燃やした後の灰をつぼに入れ,水を加えてかき混ぜた灰汁には,衣類などの汚れを落とすはたらきがあることは,昔から知られていました。これは,灰にふくまれる炭酸カリウムのはたらきです。また,海藻を燃やした灰には,炭酸ナトリウムが多くふくまれています。これらの物質はアルカリで,汚れを落とすはたらきが強いのです。
自然の中の酸のはたらき〜鍾乳洞〜
二酸化炭素は水に溶けやすく,その水溶液を炭酸水といい,弱い酸性を示します。
雨粒は上空から地表に落ちてくるまでの間に大気中の二酸化炭素を吸収するので,雨水は弱い酸性を示します。この雨水が地下にしみこむと,長い年月をかけて地中の石灰岩を溶かして洞くつをつくります。この洞くつを鍾乳洞といいます。
リトマス紙の名前の由来
リトマス紙の「リトマス」とは,地中海地方の海岸に生えるリトマスゴケに由来しています。
リトマスゴケから取り出した色素をもとに,リトマス液をつくり,その液をろ紙にしみこませたものがリトマス紙です。リトマス液は,酸性では赤色に,アルカリ性では青色になります。
現在では化学的に合成されたリトマス液が使われています。
酸性の川の中和
群馬県の白根山は火山です。白根山を水源とする湯川などの川の水は,火山の影響で硫黄の成分が溶けこんで強い酸性を示します。その下流の吾妻川は,強い酸性の水のために魚もすめない「死の川」とよばれていました。また,鉄やコンクリートは,強い酸によって溶かされるため,川の中に鉄やコンクリートを使った橋などの建造物がつくれなかったり,河川水が農業に適さなかったりなど,人間の生活にも大きな影響がありました。
そこで,群馬県内に豊富にある石灰石を利用して,その粉を水に混ぜて湯川などに流し,川の水を中和する事業が1964年に世界で初めて行われました。
これによって,吾妻川の水はほぼ中性になって多くの生物がすめるようになり,農業用水としても利用されるようになりました。
コンデンサー
電池以外に,電気をたくわえる道具にコンデンサーがあります。電池(化学電池)は化学変化によって自ら電流をつくり出しますが,コンデンサーは外部から充電されないと,電気をたくわえることができません。
燃料電池の利用
燃料電池は,今から約180年前の1839年にイギリスの物理学者グローブが初めて製作しています。しかし,発生する電力が小さいなど,課題が多く,当時はあまり注目されませんでした。
燃料電池が最初に注目されたのは,1960年代の宇宙開発のときでした。燃料電池は使うと水しか発生しないので,有人宇宙船内で使う,クリーンなエネルギー源として注目されました。しかも,発生する水は飲み水としても利用できる利点がありました。1969年には,燃料電池を積んだアメリカのアポロ宇宙船が,世界で初めて月面に着陸しました。
燃料電池の長所は,水素と酸素があれば電気をつくることができ,発生するのは無害な水だけだということです。この長所を生かして,さまざまな分野で実用化や開発が進められています。
家庭用燃料電池は,LPガス,石油,都市ガスなどの燃料から水素ガスをつくり,空気中の酸素と化合させて発電します。また,発電時に発生する熱を給湯や暖房に利用するコージェネレーションシステムが実用化されています。
現在では,燃料電池を動力源とする燃料電池自動車が販売されています。