小惑星を調べる
日本の小惑星探査機「はやぶさ」は,小惑星「イトカワ」に向けて2003年5月に打ち上げられました。はやぶさは2005年11月にイトカワに着陸して試料を採取し,その後さまざまな障害を乗りこえて2010年6月に地球に帰還しました。はやぶさの本体は地球の大気圏で燃えつきましたが,イトカワのちりを採取したカプセルはオーストラリアの砂漠に無事落下し,回収されました。
このとき採取されたちりがくわしく調べられ,さまざまなことがわかりました。
はやぶさは,地球から遠くはなれた場所で,初めて自動で試料採取を行った探査ロボットとして,日本の技術が世界で高く評価されています。
太陽系の果て
太陽系外縁天体の多くは,惑星と同じような軌道面をもっています。その広がりを「エッジワース・カイパーべルト」とよんでいます。これらの天体のさらに外には,「オールトの雲」とよばれる領域があって,そこにはすい星のもとになる天体があり,すい星はそこから太陽めがけて落ちてきて,地球に近づくと考えられています。
また,エッジワース・カイパーベルトとオールトの雲は,図のようにつながっていると考えられています。
地球外生物をさがせ
生物は地球だけに存在するのでしょうか。広い宇宙の中で,社会をつくったり,自然を調べたりする生物は私たちだけなのでしょうか。
他の天体にも生物はいると考えられていますが,まだ実際に見つかったわけではありません。液体の水がある環境をもつ天体は,生物がいる可能性が高いと考えられていて,次のような天体がさかんに調べられています。
●火星
火星にはかつて海があり,生物が発生した可能性が高いと考えられていますが,今も生き続けているかはわかりません。写真は,火星探査を行う探査機「キュリオシティ」(2013年)です。
●エンケラドス(想像図)
土星の衛星エンケラドスの表面は厚い氷におおわれていますが,その下に液体の水があることがわかりました(2014年)。木星の衛星エウロパも同じような環境だと考えられています。
次つぎと見つかる太陽系外惑星
夜空にかがやく星は,太陽と同じような恒星です。太陽系では,太陽(恒星)のまわりを,それぞれ環境の異なる8つの惑星が公転しています。では,ほかの恒星も太陽系のように惑星をもっているのでしょうか。
近年,観測技術の発達によって,恒星の中には,複数の惑星(太陽系外惑星)をもち,太陽系と似たようなすがたの恒星もあることがわかってきました。恒星とその周囲をまわる惑星をまとめて「惑星系」といいます。こうした惑星の中には,地球型惑星もたくさんあることがわかっています。太陽系は,銀河系にたくさんある惑星系の1つなのです。
また,太陽系外惑星の中には,液体の水が存在する可能性がある天体も見つかってきています。
●太陽系外惑星を数多く発見したケプラー望遠鏡(想像図)
2015年までに見つかった太陽系外惑星の数は2000個近くにもなります。
●地球の環境に近いと考えられる太陽系外惑星(想像図)
地球から約500光年の距離にあり,2014年に発見されました。恒星からの距離が地球のように適度で,液体の水が存在する可能性が高い惑星です。
ビッグバンと宇宙の歴史
1929年,アメリカの天文学者ハッブル(1889〜1953年)は,数多くの銀河を観測して,遠くにある銀河ほど速いスピードで遠ざかっていることを発見しました。そして,宇宙は膨張を続けているという考えを発表しました。この考えが正しいとすると,昔の宇宙はもっと小さかったということになります。
現在では,宇宙が誕生したときは,宇宙をつくる物質のもとが一点にあり,そこから爆発的に膨張が始まったと考えられています。これが「ビッグバン」とよばれる現象です。
この考えによると,膨張を開始したときは,すべての物質が陽子や中性子よりも小さな粒子でしたが,しだいにそれらが集まって原子をつくったと考えられています。さらに原子が集まって,恒星や銀河ができていったと考えられています。
ビッグバンが起こったのはいつごろなのでしょうか。天体どうしの距離を表す光年は,同時に時間も表しています。たとえば,距離1000万光年の天体を地球から観測したとき,その天体の1000万年前のすがたを見ていることになります。
現在では,130億光年以上はなれた銀河が見つかっています。したがって,宇宙が誕生したのは130億年よりも前ということになり,ビッグバンが起こったのは約138億年前だと考えられています。
宇宙は今も激しく活動していて,どこかで物質が集まって恒星や惑星になったり,これらがこわれて物質が散らばったりしています。また,ある原子から異なる種類の原子ができることもあります。私たちのからだをつくる物質もその一部なのです。
強い重力を生み出すブラックホール
ほとんどの銀河の中心には「ブラックホール」があると考えられています。ブラックホールとは,非常に密度が大きく,途方もなく強い重力をうみだす天体です。ブラックホールは光を出しません。それは,非常に重力が強いために,光でさえも,ぬけ出すことができないからです。
ブラックホールはその周囲にきわめて強い重力をおよぼすため,まわりから大量の気体やちりが,うずを巻いて落ちこんできます。そのとき,物質は非常に大きな速さになり,高温になるため,ブラックホールのまわりでX線を放ちます。したがって,強力なX線を放つのに,そこに天体が見えない場合はブラックホールの候補となります。このようにして,ブラックホールと推定される天体が多く見つかっています。
国によって変わる時刻〜時差〜
1日や1時間という時間の単位は,もともと,太陽の日周運動をもとに決めていました。太陽が南中してから翌日再び南中するまでの時間を1日とし,その24分の1を1時間としたのです。
地球は西から東へ自転しているので,東の方にある地点ほど太陽の南中する時刻が早くなります。
太陽が南中する時刻をその地点の正午とすると,たとえば東京と沖縄とでは時刻がずれてしまいます。そこで,日本では,東経135°の子午線が通る地点での時刻を,日本の「標準時」としています。
世界のどの国でも,いっぱんに経度が15°の倍数となる地点でその国の標準時を決めていて,国と国との標準時のちがい(時差)は1時間単位となっています。
現在は「原子時計」を基準にして,時間がより正確に決められています。
季節によって見え方が異なる天の川
天の川とは,銀河系の恒星が集まっている部分をいいます。地球の公転のため,夏の夜の向きは,銀河系の中心の方を向いているので,恒星が多く見え,天の川がはっきり見えます。一方,冬の夜の向きは,銀河系の外側を向いています。この方向は,恒星が少ないため,天の川ははっきり見えません。
生活の中に残る旧暦
現在,日本で採用されている暦は,地球が太陽のまわりをまわる1年を基準とした「太陽暦」です。
一方,暦には,太陽暦以外に,月の満ち欠けを基準とした「太陰暦」もあります。
月が満ち欠けする周期は,約29.5日です。そのため,1か月を30日(大の月),29日(小の月)としてくり返せば,月の形と日付がほぼ対応するので,毎月3日に三日月が,15日ごろに満月が見られます。ところが,太陰暦では12か月たっても354日にしかならず,太陽暦の1年には11日ほど足りません。これでは暦が季節の変化とずれてしまうことになります。そこで,1か月の長さは太陰暦をもとにしつつも,1年の長さは太陽暦の1年を用いて,足りない分は19年に7回ほど1か月(うるう月という)をはさむようにしました。この方法が「太陰太陽暦」です。
日本では,明治の初めまでは,太陰太陽暦を使っていました。それが,現在では「旧暦」とよばれる暦で,祭りの日程や中秋の名月(旧暦8月15日の月)など,季節の行事の中に残っています。
日食や月食がまれにしか起こらないわけ
教科書p.231図6では,新月のときは必ず日食が,満月のときは必ず月食が起こるように思えますが,実際はちがいます。それは,月と地球の公転面が,下の図のように一致していないためです。日食や月食が起こるのは,図の(a)の状態のときです。
天動説と地動説〜それでも地球は動いている〜
2世紀ごろ,ギリシアのプトレマイオスは,地球は宇宙の中心であり,そのまわりを月や太陽,惑星がまわっていると考えました。これを「天動説」といい,この考えは長い間信じられてきました。
16世紀,コペルニクス(ポーランド,1473〜1543年)は,宇宙の中心は地球ではなく太陽であり,地球も他の惑星と同じように太陽のまわりをまわっているという考えを発表しました。これを「地動説」といいます。
地動説を天体の観測によって説明したのが,ガリレイ(イタリア,1564〜1642年)です。ガリレイは自分で作った望遠鏡で木星の衛星を4個発見し,それらが木星のまわりを公転していることや金星の満ち欠けから,惑星が太陽のまわりを公転していると確信しました。地動説は,はじめは多くの人に反対され,ガリレイは迫害されて地動説を撤回しました。しかし,ガリレイは「それでも地球は動いている」と話したと伝えられています。
その後のさまざまな観測結果から,地動説はしだいに事実だと受け入れられるようになりました。
天動説
地動説